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2010年04月11日

今は亡きロッテホテルのチャン社長の思い出

2004年夏、思いがけないTEL。「困るなぁ、念力で飛行機まで止めてくれて〜 (笑)」ペ・ヨンジュン〜冬ソナライヴのご縁で、突然新電力の下川理事のご好意に よりご紹介を受けました。 冬ソナライヴの数時間前、横殴りの暴風雨の中びしょ濡れになりながら必死で到着。 台風に帰国の足止めをされたチャン社長に初めてお会いできた場所は大分東洋ホテル のロビー。お背は中位、後光が射し、まばゆいばかりのいぶし銀のようなオーラを 放っていました。朝鮮王朝時代の王や貴族を演じる俳優顔負けの存在感。エレベー ターから真っ直ぐ私たちを見ながら歩いて来られる姿、70歳を超えられた眼光鋭い 重厚な雰囲気に、これが本物のヤンバンだ!と、圧倒されてしまったことが昨日のこ とのように鮮やかに思い出されます。 当時フレンチレストランの特別なお部屋にティーカップ一式を準備して下さったこ と。パディントンの紅茶を淹れ、ささやかなティータイムでチャン社長をおもてなし したい!是非ご一緒に♪という私の願いを快諾して下さった総支配人のホスピタリ ティーに心から感謝しています。ロッテグループの社長がご宿泊だとはご存知なくて 驚いてらっしゃいました。

「私は、大分には特別の縁があるのですよ」私の紅茶を一口飲み開口一番、流暢な日
本語で淡々と語り始めてくださったその眼差しの優しかったこと。。。
且つて少年時代を大分で過ごしたチャン社長は、陸軍士官候補の少年飛行隊、いわゆ
るエリートとして訓練に励みながら終戦を迎え、その後本国に戻られたようです。
「長い年月が過ぎ、ベッドが隣同士で仲の良かった、少年時代を共に頑張ってきた戦
友の安否がやっと分かりました。そして昨年奇跡的に60年ぶりにソウルで再会を果
たすことができた、しかもお互いの連れ合いも幸い元気で無事に紹介し合うことがで
き感無量でした。今度は私が、少年時代を過ごした大分の地を、妻や息子夫婦、孫に
見せておきたいという思いで、親友に会うために大分を訪れました。」

初めてお会いした私のような者に、、、感慨深く語られる、思いがけない感動的なお
話に胸に熱いものが込み上げていました。
そんなご縁があったとは・・・チャン社長にとって、大分は半世紀すぎても忘れ得ぬ
激動の時代、多感な少年時代のかけがえのない思い出の場所だったのです。
ちなみに私の住む青葉台、高崎、高尾台、にじが丘一帯は25年前まではみかん山で
したが、戦時中は広大な陸軍の敷地の一画に含まれていた事を初めて知りました。

ペ・ヨンジュンさんのことを熱く思う、彼に家族と呼ばれるファンが集まり、夕方か
ら冬ソナライヴを催します、という話から。
ホ〜ッ、そんなにペ・ヨンジュンがお好きですかぁ?目をパチクリしながら、大分に
あなたのような熱烈なファンの方がいらっしゃるとは初めて知りましたよ。まるで珍
獣でも見るような目で?
私は長い間彼を招いて何度も会食しましたが、一度もそんな風に感じたことはなかっ
たですなぁ(笑)とのたまう!それは社長が男性だから?ですよ(^^)(爆笑)

突然チャン社長が、あなたの写真を撮りましょう、、思わず条件反射でティーカップ
を手にニッコリしてしまった私を、自らカメラで1枚撮られ、さっとデジカメをしま
われた。
でも何故?ウェオ?不思議に思っていたら「今度ペ・ヨンジュンに会った時あなたの
写真を彼に見せたいから(^^) 」え〜っ!?焦って顔から火が出る思いでした。
しばらくして来られた綺麗な奥様は元女優でらして、若い頃一度ウリ王子と撮影場所
で会われた!?驚きました。
「まだ10代か20代始めの初々しいペ・ヨンジュンでしたが、この青年は将来大物
の俳優になる、と直感していました。そしてやはり、そうなりましたね」
感動しました。本当に嬉しさを隠せませんでした。詳しいお話をもっと伺いたかった
のですができなくて残念。。。
当時チャン社長はロッテホテル会長を退かれ、モスクワに本社を置くもう一つのロッ
テホテルチェーンの社長でらして、モスクワーソウル間の出張などでお忙しく、また
ウリ王子も四月の雪のサンチョク撮影の真っ最中でしたから、残念ながらついにお二
人に会食の機会は訪れなかったのではと思っています。

2005年6月ロッテクリスタルホールにて大分県観光振興局楢本局長、国際交流課、別
府市長、別府商工会議所、APU大学学長他の一団が別府温泉プロモーションイベン
トを大々的に開催しました。韓国のお客様はマスコミ関係、旅行関係者など150人
以上の方が参加され、ビュッフェのお料理も最高に美味しく大いに盛り上がっていま
した。
3月BOFをオフィシャルで訪問の折、ヤンさんに手渡していたペ・ヨンジュン招聘の
大分県の親書を書いて下さった楢元局長に招かれ、「大分からぺ・ヨンジュンさんの
ことを熱く思う会」から、harumiちゃんと私の二人が出席。大分県の委託名誉大使と
して、東亜日報社長、次いで大分と縁の深いチャン社長がステージに立たれたのです
が、少年飛行隊のことなど通訳がもどかしく(あぁ、通訳泣かせ、、さもありなん
!)途中から、社長は日本語で話しましょう!とおっしゃって、、、そして最後に力
強く、
「大分は、私の第二の故郷です!」大歓声と感動の拍手に包まれました。
前年ソウルで再会した折、社長に頂いた紅参茶が最高に美味しくて、そのお礼に紅茶
のギフトを差し上げました。東洋ホテルでは特にお嫁さんが紅茶がお好きだったよう
で、差し上げた新茶の袋を開けて色々と質問されたのですが、チャン社長とのお話が
盛り上がりちゃんとご説明できなかったことが申し訳なくて・・・紅茶の美味しい淹
れ方のハングル版のレジュメを入れておきました。チャン社長は笑顔で両手で握手し
て下さり、「あなたがどこにいるのか、ずっと会場を目で探していましたよ^^再会
できて良かった」まぁ、光栄です、優しいお言葉に涙。。。
その節は、ロイヤルスィートルーム(ゴージャスなロココ調の家具、白いピアノな
ど、その後ホテリアーのメイキングでお部屋のウリ王子を見ることになろうとは想像
もしなかったわけで・・・)やヨンジュンさんの専用のお部屋などを見学させて下
さってみなさん大感激でした。本当にありがとうございました。

3月ロッテチャムシルに宿泊の折、お部屋のウェルカムフルーツを発見!チャン社長
のお心遣いにkaoruちゃんと大感激しました。
ウリ王子へのお手紙におすそ分けのフルーツを添えて、通訳のワンさんにお預けした
ことを思い出します。
その秋頃には、チャン社長はご多忙のようでお手紙と紅茶をフロントの支配人にお預
けして帰国しました。
その時まさかチャン社長が入院なさっていたとは夢にも思わず、晩秋に他界されるこ
とになろうとは露ほどにも思っていませんでした。
頭脳明晰、頑丈なお身体で健康そのものという印象しかなかったのです。
訃報を耳にしたのは2006年春再びロッテホテルを訪れた時、、ショックでした。

再びお目にかかれたのは1年後ロッテホテル明洞サロン・ド・テで美味しい紅茶を楽
しんだ時。
日本版「ホテリアー」のウリ王子撮影の場所でした。広いエレベーターホールの壁一
面に飾られた、たくさんの写真額の中に突然、
少しお若いチャン社長とスポーツ選手とのツーショット写真が数枚目に飛び込んでき
ました。
予想もしなかった再会に?嬉しくて、懐かしくて、チャン社長の笑顔の前に立ち尽く
していました。ここに来れば会えるんですね。
チャン社長、オレガンマニエヨ〜トッマンナッソ ノ〜ムヘンボッケヨ〜きっとお幸
せですよね!

やっと日本に、東京錦糸町にロッテシティホテルがオープン!チンシムロ チュッカ
ドゥリmニダ〜
チャン社長、良かったですね。ソウルからヨンジュンさんがお祝いに駆けつけてくれ
ましたよ〜
そしてホテルの4階にヨンジュンさんの韓国の食文化を大切に伝える高矢禮火、日本
で3番目のお店もオープンしましたよ。
たくさんの方に喜ばれ、愛されるロッテホテルになりますよう祈っています。
ヨンジュンさんの家族みんなが応援しています。
チャン社長、きっと喜んでらっしゃいますよね^^
ロッテホテルと高矢禮、ヨンジュンさんと私たち家族、
愛する奥様、息子さん、お嫁さん、あの元気な10歳位のお坊ちゃん(家にたったひ
とつあった友永のあんパンを差し上げたのを、置き忘れたのに気がつき、すぐに戻っ
て来て大事に持って行かれた姿が可愛いくて忘れられません。もう立派な高校生です
ね)

日韓の心と心に黄金の架け橋を創ったペ・ヨンジュン。
これからもこの温かい愛の絆がもっと強く結ばれますように見守っていて下さいね。

 チャン社長のお人柄を偲びつつ  たくさんの感謝を込めて。

 「チャン社長 サランヘヨ〜」


投稿者 i-mode : 2010年04月11日 19:14
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